AS24679 刀:筑州住左行秀 嘉永五年八月日(特別保存刀剣)

説明

刀:白鞘入り、拵え付き(特別保存刀剣)
銘:筑州住左行秀 嘉永五年八月日

鞘書: 於土州高府左行秀 六字銘及嘉永五年八月日紀有之。
長寸勇健ナル大石神影流仕様の姿態を呈し柾目に鍛え、精良で
沸匂深厚なる直刃を焼き申し候。宛を井上真改に倣いし感の作風なりて同工の本領を存分に発揮したる優品なり。 刃長二尺七寸余有之 時在丙申菊月 探山邉道識(花押)

当社では刀工の出来によって最上作、上々作、上作、普通作を記載しております。
本作の出来は筑州住左行秀としては上々作にランクされます。

はばき:金赤銅着二重鎺(白鞘用)、金着一重鎺(拵用)
刃長:2尺7寸0分8厘(約82.1cm)
反り:3分(0.9cm)
目釘穴:3個
元幅:3.04cm
先幅:2.2cm
重ね:0.7cm
刀身重量:1,170グラム
時代:江戸時代末期、1852年
体配:勤王刀とよばれる長寸で反りが少なく鋒が伸び、茎も長い姿の刀で、身幅が広くがっしりとしている。
地鉄:小板目肌実に良く詰んで地錵が付き綺麗な肌合いとなる。
刃紋:沸出来、匂口の深いのたれ刃に足が入り刃中、砂流金筋が働く。帽子匂口深く丸く返る。

特徴:左行秀、本名豊永久兵衛(のちに久左衛門)は筑前国生まれの刀工で、自らを筑前左文字の末流と称した。天保ごろから江戸で活動し、その後土佐に移って左行秀と銘を切るようになる。安政3年(1856)、土佐での師であった関田勝廣の跡をついで土佐藩工となり、安政7年(1860)からは江戸深川の土佐藩下屋敷に移り、刀を作るほか、鉄砲の製造にも携わっていた。今様正宗と称されるほど当時の評価は高く土佐藩主山内容堂ほか板垣退助などの土佐藩士たちから注文を受けており、中でも坂本龍馬の兄直方の注文を受けた刀は龍馬の所有刀として伝わっている。土佐藩士たちと親密であったことが窺えるが、ある時、乾退助が土佐藩邸で天狗党残党を隠匿し、挙兵の計画を立てていることを知った行秀は自らも謀反の罪を負うことを恐れ、藩邸役人を通じて藩主山内容堂にそのことを密告した。しかし行秀の思惑とは反対に容堂は退助を罰せず、逆に行秀は密告者として藩士からの信頼を失い、土佐へ戻ることとなった。土佐へ戻ってからは銘を東虎と改めた。 倒幕派に対する裏切りを行った行秀の刀は忌避され、廃刀令を機に廃業した。

拵:
鐔: 鉄地、葡萄と貝の図
縁頭:鐺:鉄地、葡萄の図
鞘:黒刻鞘
目貫:龍の図

特別保存刀剣鑑定書
葵美術評価鑑定書:全身押形




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