AS21446-刀:四王大権現造兼乕 刃淬遊雲斎真雄

説明

刀:白鞘入り(特別保存刀剣)
銘: 四王大権現造兼乕
刃淬遊雲斎真雄

当社では刀工の出来によって最上作、上々作、上作、普通作を記載しております
本作の出来は 遊雲斎真雄 としては上々作にランクされる作品です。
新新刀:上々作:信濃
研磨済み 最上研磨
登録証番号:
はばき:赤銅一重
刃長:2尺4寸2分1厘 (73.36センチ)
反り:5分5厘 (1.67センチ)
目釘穴:1個
元幅:3.24センチ
先幅:2.17センチ
重ね:0.7センチ
刀身重量: 865グラム
時代:嘉永の頃
体配:身幅が広く重ね厚く反り適度に付き
鋒が延びた体配の良い作品です。
地鉄:小板目肌よく練れて肌立ち地沸がつき地景が激しく現れ肌目がよく見て取れる。
鎬地:地鉄と同様な小板目肌よく練れて肌達地沸がつき地景が激しく現れ肌目がよく見て取れる。
刃紋:沸出来直刃、に小互の目乱れ、小足がよくつき食い違い刃が働き明るく冴える。帽子。丸く返り先、掃掛となる。

特徴:山浦真雄は品のの刀工で小諸において山浦治右衛門寿昌右の長男として生まれる。その弟が有名な清麿である。
真雄は銘をいくつも変えている遊雲斎、天然子寿昌、正雄などと銘を返
る。 元々剣術が上手であった為それが高じて
日本刀の制作を目指す。兄弟ともに仲が良かったと考えられ弟清麿とともに上田の刀工川村寿隆の者に入る。のちに
天保8年(1837年)に江戸に上り、浜部寿実に入門し翌年には京都において作刀を行った。 これらの時代はかなり刀剣制作に悩んでいた時代であったと考えられる。 匂口の締まった丁子乱れから離れて相州伝をものにする前段階の悶々とする時代であったと考えられます。

葵美術より一言 清麿の初期の作品は川村寿隆の丁子乱れにならって制作しており清
麿、真雄の作風とは全く異なっております。やがて兄弟が行き着くところは相州伝の激
しい作品を制作することになるのです。 一方真雄は激しい相州伝と共に色々な方法で
日本刀を制作しております。
本作がまさにその一例と考えます。 古作金剛兵衛の様な地金となり切れ味を重要視
して制作されたと考えられます。 なを本作は息子の兼虎との合作銘で大変貴重な資料と言えます。
山浦真雄の子山浦兼虎は信州小県郡赤岩に生まれ、剣術の道を志して直心影流中山真道に入門。
やがて嘉永2年(1849年)から叔父である源清麿から鍛刀技術を学び師の島田虎
之助が死去すると鍛冶に専念する。安政6年(1859年)に松代藩工となる。
明治4年(1871年)、父より家督を譲られ上田に移住する。
真雄は明治7年(1874年)、71歳で死去。
清麿大鑑には(185ページから205ページ)までに参考とする文献が書斎されてお
りますので参考にしてください。
兄と弟さらに兄の息子は剣道の達人であったのですが父親、清麿は刀剣制作に障害の仕
事を決めた為息子の兼虎は
やがて父親について学びさらに清麿の弟子となり鍛刀するが嘉永7年清麿が自害すると
その後。安政6年(1859年)に松代藩工となる。山浦真雄は息子とともに鍛刀し
父と息子の合作刀を制作したのです。 本作は清麿風の激しい作品ではありませ
んが切れ味を求めて古作の写しを狙って成功しております。鎬地は板目肌新新刀
独特な柾目肌ではなく相当に考え抜いた
作品と考えられます。大変貴重な作品で 是非父山浦真雄と山浦兼虎合作の作品
をお勧めいたします。

特別保存刀剣鑑定書
葵美術評価鑑定書:全身押し形


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2021/12/11 (土) 11:13

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