AS21566-脇差:肥前国忠吉(初代)

説明

脇差:白鞘入り(特別保存刀剣)(委託品)
銘:肥前国忠吉(初代)

新刀:最上作:最上大業物:肥前
当社では刀工の出来によって最上作、上々作、上作、普通作を記載しております
本作の出来は肥前国忠吉としては上々作にランクされる作品です。
研磨済み
はばき:金着一重
刃長:1尺7寸7分(53.64センチ)
反り:4分5厘 (1.36センチ)
目釘穴:2個
元幅:2.84センチ
先幅:1.86センチ
重ね:0.55cm
重量:490グラム
時代:江戸時代慶長
体配:身幅、重ね尋常な反りが適度につき
切先がやや伸びる慶長体配の長めの脇差
地鉄:小板目肌実に良く練れて小糠肌すなわち肥前地鉄となる。
差裏刃区より13cmの部分に縦割れがあるのが惜しまれる。
鎬地:小板目肌に柾目が流れる。
刃紋:沸出来、のたれ刃紋に互の目が混じり、
匂口深めに二重刃がかかり、帽子、匂口深く丸く返る。

特徴:新刀期における肥前刀は極めて重要な位置を占め、
主流の忠吉家をはじめ各流派が出て展開した。
初代忠吉は肥前長瀬村(現在の高瀬村)で元亀三年(1572)に生まれ、橋本新左衛門と称し、元は武家であったとも言われる。祖父は内蔵允盛弘といい竜造寺家に仕えたが、天正十二年(1584)島原で戦死。父壱岐守道弘も祖父と同年に病歿す。忠吉は十三歳で長瀬村の某鍛冶工(肥後同田貫善兵衛)の家に倚り刀剣鍛法に従事した。慶長元年(1596)藩命により一門の宗長と共に東京の埋忠明寿門に入り、忠吉は鍛刀を、宗長は彫刻を学んだ。慶長三年(1598)に帰国。佐賀城下に転任し佐賀藩鍋島家の抱工として活躍した。最初の年紀作は慶長五年(1600)二十九歳に始まる。元和十年(1624)再び上京して同年二月三十日改元、寛永元年(1624)五十三歳で武蔵大掾受領後に忠広と改銘。同年帰国。寛永九年(1632)八月十五日六十一歳で没した。
初代忠吉は約三十年にわたって作刀したが駄作がなくどれも水準以上の出来が優れたものである。「肥前国忠吉」と五字銘に切った為、五字忠吉と通称がある。京の國広と並び賞される新刀の名工で新刀最上作にランクされ、最上大業物。
忠吉家では二代忠広、七代忠広を除き代々が忠吉銘を踏襲した。

葵美術より一言本作の忠吉は五字忠吉といって最も人気のある作品で銘振りから慶長7-8年頃に制作されたと考えられます。 
鋒が大切先となり体配がよく地鉄の良さと刃紋の直刃できで、
落ち着きのある作品です。新刀の最上作として君臨し最上大業物として評価された肥前刀のトップとして活躍した作品で是非お勧めしたい一振りです。

特別保存刀剣鑑定書
葵美術評価鑑定書:全身押し形

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