AS21431 脇差:加藤綱俊造

説明

ご注文番号:AS21431
脇差:白鞘入り、拵え付き(特別保存刀剣)

銘:加藤綱俊造
文政五年四月日

当社では刀工の出来によって最上作、上々作、上作、普通作を記載しております
本作の出来は加藤綱俊としては上々作にランクされる作品です。
研磨済み
はばき:金着一重
刃長:44.0 センチ
反り: 1、0センチ
目釘穴:1 個
元幅: 2.97センチ
先幅: 2.3センチ
重ね:0.59 センチ
刀身重量:395 グラム
時代:江戸時代文政の頃
体配:身幅が広め重ねやや厚く反りのある
鋒の長い体配の良い作品で
いまだに生刃を残した健全な作品です。
地鉄:小板目肌実に良く詰んで無地風の綺麗な地鉄となる。
鎬地:地鉄と同様に小板目肌実に良く詰んで
無地風の綺麗な地鉄となる。
刃紋:小沸出来匂口深い刃区より直刃その先濤乱刃となり
波と波の間に丸い玉をいくつか焼き上げる。
帽子:丸く返り焼き下げる。

特徴:加藤綱俊(長運斎綱俊)本作は初代長運斎綱俊による脇差。綱俊は和泉守國秀の三男で、山形藩工で濤瀾刃の名手であった加藤綱英の弟。寛政十年(1798)生まれ。本国出羽、米沢藩上杉家の抱工という。加藤八郎と称し、是俊とも銘した。水心子正秀に学び、長運斎と号す。江戸に移住しさらに大阪に上がり、鈴木治國に師事したのち、西国を遊歴、熊本に駐槌。安政三年(1856)には長運斎を息子の是俊、二代綱俊に譲り、銘を長寿斎と改める。文政六年(1823)頃より江戸麻布の上杉家中家敷に住み、文久三年(1863)十二月六十六歳で没した。
甥に七代石堂是一、弟子に固山宗次、高橋長信、青竜軒盛俊など優れた門人がおり、幕末の江戸で一大流派を築いた。殊に備前伝では水心子一門を凌ぐ勢いであったと言う。

拵:
鍔:円形の鉄鍔に紋様を金で描く
縁頭:赤銅地に紋様を入れた図柄
鞘:黒呂色鞘
目貫:不明
小柄:赤銅魚子地に農耕に使用する桑とナスと思われる野菜をカゴを高彫し金で色絵をほどこす

葵美術より一言:長運斎綱俊は丁子刃、濤乱刃にも秀でているが濤乱刃はの制作は文化、文政、天保頃によく行われたがそれ以降は丁子乱れの作品が、おおくなるのは濤乱刃という匂口の深い大互の目は戦うと折れやすいという欠点の気づいたのかもしれません。水心子正がそれに気づき復古刀を唱え多くの刀工もその流れに沿ったのかもしれません。しかし現在は鑑賞する刀剣が好まれ助廣をはじめとして数多くの刀工達はそれに挑戦して出来を競い合ったのです。本作もその一人で江戸時代末期には数多くの刀工が濤乱刃に挑戦していたのです。水心子正秀、:長運斎綱俊、加藤綱英、尾崎助隆、市毛徳麟、正繁等が活躍しました、現在でも濤乱刃は人気のある作品
です、 是非この濤乱刃に玉を焼いた作品を是非お勧めいたします。
                       
特別保存刀剣鑑定書
葵美術評価鑑定書:全身押し形


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2021/10/17 (日) 10:02

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