AS21382 短刀: 固山宗次

説明

ご注文番号:AS21382

短刀:白鞘入り(特別保存刀剣)(委託品)

銘:明治庚午春奉命鍛此 東京住固山宗次
戌辰之勲□田子興有力焉此刀 以酬其労源具定源具経

鞘書:固山宗次 岩倉公 長さ七寸有之 昭和葵卯歳六月於松山 本阿弥日州 花押

当社では刀工の出来によって最上作、上々作、上作、普通作を記載しております
本作の出来は 固山宗次 としては上々作にランクされる作品です。
研磨済み
はばき:金着一重
刃長:7寸9分5厘(24.1センチ)
反り:内反り
目釘穴:1個
元幅:2.72センチ
重ね:0.62センチ
刀身重量: 180グラム
時代:明治3年 庚午かのうえうま 1870年
体配:身幅、重ねのしっかりとした短刀で生刃が残り健全な短刀。
地鉄:小板目肌よく練れて肌目が良く見て取れ精良な地金となる。
刃紋:沸出来、互の目乱れ揃い足が良く働き刃先に向かう。
刃中、砂流、細かな金筋が働く。
帽子丸みを帯びて尖りごころに返る。

特徴:固山宗次は享和3年に奥州白川に生まれ宗兵衛と呼称されていた。一専斎、精良斎とも号し、
兄には宗平、宗俊がいる。彼に師匠は加藤綱英とはいわれているが加藤綱俊の影響が強く
作風も極めて良く似ている。当初白川松平家のお抱え工であったが藩が勢州桑名への移封後は江戸四谷に住し桑名藩工として
作刀を行った。弘化2年には備前介を受領している。 作刀期間は文政の後半から明治初年にわたり数多くの作品を制作している。
生真面目な刀工であったと思われ備前伝に一貫して制作し駄作はまずない。
おそらく疵や欠点を嫌い出来の良い作品を残すという性格であったと考えられます。

葵美術より一言:本作の固山宗次の短刀は彼の際末期に近い作刀した珍品の作品です。
明治3年春に東京に住む固山宗次が戊辰戦争で?田子興の功績
を称え岩倉 具視の子供の次男の次男:岩倉具定、三男に岩倉具経が固山宗次に制作を依頼しその短刀を差し上げた作品です。
流石に宗次も懸命に鍛刀を行い見事な作品を制作したのです。
廃刀令が迫る中で一心不乱に制作した結果見事な短刀が出来上がったのです。通常の詰んだ地金とは異なり、古さを感じさせる地金で
刃紋も明るく冴えて足が長く入る見事な作品といえます。
名品であり岩倉家に次男と三男が注文した作品を是非お求めください。
岩倉具定は岩倉家16代当主は慶應4年戊辰戦争勃発の際東山道先鋒軍の式に当たった。
明治3年米国のラトガース大学に留学し帰国後は政府に出仕し伊藤博文と共に憲法調査のために欧州に渡る。
明治17年に学習院長を務める。明治43年4月に亡くなる
岩倉具経 いわくら-ともつね … 1853-1890 明治時代の官僚。 嘉永(かえい)6年6月17日
生まれ。岩倉具視の3男。戊辰(ぼしん)戦争では東山道鎮撫(ちんぶ)副総督
兄の総督・岩倉具定と共に江戸へ進軍し奥羽征討白河口副総督に任じられた
明治3年1月(1870年2月)アメリカに留学し1873年には最初の日本人学生と
してオックスフォード大学に留学1878年に帰国1890年10月に亡くなる
ウィキペディアより引用
大変貴重な短刀であり出来も大変良くできております。 是非ご家庭の宝物として大切に御愛蔵ください。

特別保存刀剣鑑定書
葵美術評価鑑定書:全身押し形

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2021/08/12 (木) 15:18

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