AS21217-刀:初代忠広作

説明

刀:白鞘入り、拵え付き(保存刀剣)
銘:明治三年藤原忠吉摺揚之
初代忠広作

鞘書:肥前国初代忠吉作(武蔵大掾忠広同人)
長さ二尺二寸五分1厘 忠吉老晩年銘 寛永五六年銘
藤原忠吉擦り上げ 明治3年  圓山真峰

藤代刀工辞典:新刀:最上作:最上大業物:肥前
当社では刀工の出来によって最上作、上々作、上作、普通作を記載しております
本作の出来は初代忠広作としてはに上々作ランクされる作品です。
研磨済み
はばき:金着二重
刃長:66.2センチ
反り:1.5センチ
目釘穴:2個
元幅:3.06センチ
先幅:2.32センチ
重ね:0.67センチ
刀身重量: 735グラム
時代:江戸時代初期 寛永の頃
体配:擦り上げ無銘の刀で元は初代忠吉を後代忠吉がが擦り上げた作品で身幅、重ね尋常な反り適度に反り鋒がのびた体配の良い作品です。
地鉄:小板目肌に小杢目肌が混じり地沸がよくつき地景が入って無類に練れた作品です。
刃紋:小沸出来匂口が深く太直刃となり刃中、刃縁に柔らかな足、刃が盛に働き帽子、匂口深く丸く先尖り心に返る。

特徴:新刀期における肥前刀は極めて重要な位置を占め、主流の忠吉家をはじめ各流派が出て展開した。
初代忠吉は肥前長瀬村(現在の高瀬村)で元亀三年(1572)に生まれ、橋本新左衛門と称し、元は武家であったとも言われる。祖父は内蔵允盛弘といい竜造寺家に仕えたが、天正十二年(1584)島原で戦死。父壱岐守道弘も祖父と同年に病歿す。忠吉は十三歳で長瀬村の某鍛冶工(肥後同田貫善兵衛)の家に倚り刀剣鍛法に従事した。慶長元年(1596)藩命により一門の宗長と共に京の埋忠明寿門に入り、忠吉は鍛刀を、宗長は彫刻を学んだ。慶長三年(1598)に帰国。佐賀城下に転任し佐賀藩鍋島家の抱工として活躍した。最初の年紀作は慶長五年(1600)二十九歳に始まる。元和十年(1624)再び上京して同年二月三十日改元、寛永元年(1624)五十三歳で武蔵大掾受領後に忠広と改銘。同年帰国。寛永九年(1632)八月十五日六十一歳で没した。
初代忠吉は約三十年にわたって作刀したが駄作がなくどれも水準以上の出来が優れたものである。「肥前国忠吉」と五字銘に切った為、五字忠吉と通称がある。京の國広と並び賞される新刀の名工で新刀最上作にランクされ、最上大業物。

拵:
鍔:円形の鉄鍔に周りは竹の図柄を模して彫り中は家紋と思われる図柄を彫り透かす
縁頭:鉄地に家紋を金で描く
鞘:黒呂色鞘
目貫:赤銅地で馬の図柄を高彫し金で色絵をほどこす

葵美術より一言:本作は元々初代忠吉の作品を明治になり明治3年になり後代の9代忠吉が擦り上げ区送をした作品です。
惜しまれるのは表側の鎬地に疵が出てしまっていることですが地金はよく刃紋も素晴らしく、研磨も最上研ぎが施されております。
刃中の刃紋は匂口が深々とつき足、葉が刃縁柔らかく見事に働き帽子の刃も同様です。拵えもなかなかよくできており是非お勧めしたい作品です。

保存刀剣鑑定書
葵美術評価鑑定書:全身押し形

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2021/07/11 (日) 11:25

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