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オークション開始
2021/06/22 (火) 13:58 |
※ = 自動入札
ご注文番号:AS21271
刀:白鞘入り(保存刀剣)
銘:無銘(肥前国忠吉)初代
当社では刀工の出来によって最上作、上々作、上作、普通作を記載しております
本作の出来は無銘(肥前初代忠吉) としては上々作にランクされる作品です。
研磨済み
はばき:金着一重
刃長:71.5センチ
反り:1.6センチ
目釘穴:2個
元幅:3.48センチ
先幅:2.4センチ
重ね:0.75センチ
刀身重量:925 グラム
時代:江戸時代初期
体配:身幅が広く重ね厚く反り適度につき、鋒が延びた豪壮な作品。
地鉄:小板目肌よく練れて地沸がつき美しい肥前地金となる。
刃紋:沸出来直刃匂口やや深く小足が柔らかく入り
帽子大きく先小丸に返る。刃中に砂流、金筋が働く。
特徴: 新刀期における肥前刀は極めて重要な位置を占め、
主流の忠吉家をはじめ各流派が出て展開した。
初代忠吉は肥前長瀬村(現在の高瀬村)で元亀三年(1572)に生まれ、橋本新左衛門と称し、元は武家であったとも言われる。
祖父は内蔵允盛弘といい竜造寺家に仕えたが、天正十二年(1584)島原で戦死。父壱岐守道弘も祖父と同年に病歿す。
忠吉は十三歳で長瀬村の某鍛冶工(肥後同田貫善兵衛)の家に倚り刀剣鍛法に従事した。
慶長元年(1596)藩命により一門の宗長と共に京の埋忠明寿門に入り、忠吉は鍛刀を、宗長は彫刻を学んだ。
慶長三年(1598)に帰国。佐賀城下に転任し佐賀藩鍋島家の抱工として活躍した。最初の年紀作は慶長五年(1600)二十九歳に始まる。
元和十年(1624)再び上京して同年二月三十日改元、寛永元年(1624)五十三歳で武蔵大掾受領後に忠広と改銘。
同年帰国。寛永九年(1632)八月十五日六十一歳で没した。
初代忠吉は約三十年にわたって作刀したが駄作がなくどれも水準以上の出来が優れたものである。
「肥前国忠吉」と五字銘に切った為、五字忠吉と通称がある。京の國広と並び賞される新刀の名工で新刀最上作にランクされ、最上大業物。
忠吉家では二代忠広、七代忠広を除き代々が忠吉銘を踏襲した。
葵美術より一言:本作は身幅が広く重ねが厚く反りが適度につき鋒がのびた豪壮な刀です。
刀剣博物館では初代の肥前国忠吉と鑑定をされました。
私見では果たして初代、忠吉がこのような豪壮な作品を制作したのか疑問ですし地には淡い映状が見えできの優れた作品である。
なおこの刀には昭和13年に当時の目利きである本阿弥光孫先生が代千五100貫、来国光と鞘書きをされております。
いずれにせよ出来の素晴らしい作品といえます。
保存刀剣鑑定書
葵美術評価鑑定書:全身押し形
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