AS18093-刀:應後藤則贇之需武州江府住長運斎綱俊作

説明

刀:白鞘入り、拵え付き(特別保存刀剣)

銘: 應後藤則贇之需武州江府住長運斎綱俊作
天保十三年寅仲冬於江府千住太々土壇拂

藤代刀工辞典:新々刀:上作:武蔵
当社では刀工の出来によって最上作、上々作、上作、普通作を記載しております
本作の出来は長運斎綱俊としては上々作にランクされる作品です。
研磨済み
はばき:素銅地一重
刃長:71.0センチ
反り:1.7センチ
目釘穴:1個
元幅:3.37センチ
先幅:2.29センチ
重ね:0.78センチ
時代:江戸時代末期 天保 1842年
体配:身幅が3.37cmと広く重ねやや厚く
反り適度にあり切先の延びた体配の良い作品。
地鉄:小板目肌よく詰んで地錵が付ききれいな地肌となる。
刃紋:刃区より錵出来直刃、その先丁字乱れ小足よく入り、
帽子大きく丸く返る。

特徴:本作は初代長運斎綱俊による刀。綱俊は和泉守國秀の三男で、山形藩工で濤瀾刃の名手であった加藤綱英の弟。寛政十
年(1798)生まれ。本国出羽、米沢藩上杉家の抱工という。加藤八郎と称し、是俊とも銘した。水心子正秀に学び、長運斎と号す。江戸に移住しさらに大阪に上がり、鈴木治國に師事したのち、西国を遊歴、熊本に駐槌。安政三年(1856)には長運斎を息子の是俊、二代綱俊に譲り、銘を長寿斎と改める。文政六年(1823)頃より江戸麻布の上杉家中家敷に住み、文久三年(1863)十二月六十六歳で没した。
甥に七代石堂是一、弟子に固山宗次、高橋長信、青竜軒盛俊など優れた門人がおり、幕末の江戸で一大流派を築いた。殊に備前伝では水心子一門を凌ぐ勢いであったと言う。

拵:
鍔:楕円形の鉄鍔に花の図柄を高彫りし金の色絵をほどこす。
縁頭:鉄地に花の図柄を金で色絵をほどこす。
鞘:黒呂色鞘。
目貫:赤銅地で当時の貴族を牛で運ぶ車を高彫りし金の色絵をほどこす。

葵美術より一言:長運斎綱俊の裁断銘のあるがっしりとした刀です。
後藤則贇の注文打ちの作品で天保13年1月(寅年)半ば江戸千住に於いてこの刀で太太の部分を試し切りをほどこした切れ味の良い作品です。( 太太とは脇より少し上部の部分) 注文者の後藤則○とは恐らく幕末の志士であったと考えられます。
銘の武州江府住と切れた作品は未見で貴重な資料であります。
天保打ち称する江戸時代末期の作品はどの刀工でも
ほとんど出来の良い作品が多く本作も同様であります。
なをこの裁断銘には切り手が彫られていませんが銘は明らかに綱俊に間違いが無く制作された時点で裁断銘が切られている
所から切り手は長運斎綱俊か注文者の後藤則贇(のりよし)という事になります。
裁断銘の多くがこの様なやや浅めの丁字乱れが多い。
拵えは豪華さはありませんが当時に制作された素銅地のハバキが付いております。

時代背景:天保の改革:江戸幕府が株仲間解散令を発布

特別保存刀剣鑑定書
葵美術評価鑑定書:全身押し形


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2021/01/22 (金) 11:09

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