AS22686 脇差:肥前国忠吉(初代)(特別保存刀剣)

説明

ご注文番号:AS22686
脇差:白鞘入り(特別保存刀剣)

銘:肥前国忠吉(初代)

新刀:最上大業物:肥前
当社では刀工の出来によって最上作、上々作、上作、普通作を記載しております。
本作の出来は 肥前国忠吉 としては 上々作 にランクされる作品です。
研磨済み
鎺:金着一重
刃長:38.0センチ
反り:0.2センチ
目釘穴:3個
元幅:3.04センチ
重ね:0.58センチ
刀剣重量:275グラム
時代:江戸時代 慶長頃
体配:身幅が広く重ねもしっかりとした平打ちの刃紋で表裏に棒樋を彫る。
地鉄:板目肌肌立ち地景が働き表裏の先端に小疵がある。
刃紋:沸出来匂口深めの直刃、にのたれがあり細かな金筋が働き丸く返る。

特徴:初代忠吉は肥前長瀬村(現在の高瀬村)で元亀三年(1572)に生まれ、橋本新左衛門と称し、元は武家であったとも言われる。祖父は内蔵允盛弘といい竜造寺家に仕えたが、天正十二年(1584)島原で戦死。父壱岐守道弘も祖父と同年に病歿す。忠吉は十三歳で長瀬村の某鍛冶工(肥後同田貫善兵衛)の家に倚り刀剣鍛法に従事した。慶長元年(1596)藩命により一門の宗長と共に東京の埋忠明寿門に入り、忠吉は鍛刀を、宗長は彫刻を学んだ。慶長三年(1598)に帰国。佐賀城下に転任し佐賀藩鍋島家の抱工として活躍した。最初の年紀作は慶長五年(1600)二十九歳に始まる。元和十年(1624)再び上京して同年二月三十日改元、寛永元年(1624)五十三歳で武蔵大掾受領後に忠広と改銘。同年帰国。寛永九年(1632)八月十五日六十一歳で没した。初代忠吉は約三十年にわたって作刀したが駄作がなくどれも水準以上の出来が優れたものである。「肥前国忠吉」と五字銘に切った為、五字忠吉と通称がある。京の國広と並び賞される新刀の名工で新刀最上作にランクされ、最上大業物。忠吉家では二代忠広、七代忠広を除き代々が忠吉銘を踏襲した。

葵美術より一言:人斬り以蔵(岡田以蔵)は初代忠吉の刀を愛したと言われていますが、元々土佐藩の坂本龍馬の持ち物だった忠吉の刀が岡田以蔵に渡ったのがきっかけだと言われています。
※表裏の棒樋の近くに小疵があります。

特別保存刀剣鑑定書
葵美術評価鑑定書:全身押し形 鶴田文佳



落札価格:¥1,250,000

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入札履歴

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最高入札者 : bbb74991223

bbb74991223
2023/06/07 (水) 10:27
¥1,250,000
オークション開始
2023/05/31 (水) 10:16

※ = 自動入札