AS22146 刀:肥前国住近江大掾忠広(二代)

説明

ご注文番号:AS22146

刀:白鞘入り、拵え付き(特別保存刀剣)

銘:肥前国住近江大掾忠広(二代)  
                               
鞘書:肥前国住近江大掾忠広 直刃出来見事刀銘珍也 好資料 刃長貳尺二寸七分 寒山誌
          
新刀:上々作:大業物:肥前
当社では刀工の出来によって最上作、上々作、上作、普通作を記載しております。
本作の出来は肥前国住近江大掾忠広としては最上作にランクされる作品です。
研磨済み
ハバキ:金着二重
刃長:68.8センチ
反り:1.8センチ
目釘穴:1個
元幅:3.05センチ
先幅:2.12センチ
重ね:0.67センチ
時代:江戸時代 慶安の頃
体配:体配:身幅、重ね共にしっかりとしたやや長寸の鎬造の刀
地鉄:小板目が良く詰み地沸が付き
地景が入って潤いの有る肥前刀独特の美しい小糠肌となる。
刃紋:匂口の深い中直刃。帽子丸く返り深く焼き下げる。
刃明るく冴え刃縁柔らかくまさに二代忠広の出来優れる一振。
特に焼幅広い直刃出来は忠広の最も得意とするところで、
子細に見ると刃中の盛んな働きが見て取れる。

特徴:忠広は肥前の刀工で、著名な初代忠吉の実子。
本名を橋本平作郎。寛永十八年(1641年)に二十九歳の時、近江大掾を受領。
受領後の正保、慶安頃が最盛期であったといわれる。終生忠吉銘は襲名せず、忠広と銘した。
藩より屋敷と切米二十石を拝領。元禄六年(1693)八十歳にて没した。
切味が良く、大業物に指定されている。地鉄の美しさでは肥前刀随一といわれ、
父忠吉に次ぐ名工との評価が高い。長寿であった為作品数は多いが、
寛文三年頃からの晩年作には三代の代作も見受けられる。
本作の刀を太刀銘では無く刀銘にした作品は今のところ、
この一振りで正に珍品中の珍品といえます。寒山先生の鞘書には
出来見事と同時に刀銘珍なり好資料と記載されております。
本作の出来は極めてよく最上級の作品です。 
なぜ表に銘を切ったのか疑問ですが地金が抜群で
又刃紋は見事な中直刃を焼いた魅力的な作品です。

拵:太刀拵え
鍔:素銅地太刀鍔
縁頭:銅地に革を巻く。
鞘:黒色
目貫:赤銅地に桐紋を高彫りし金で色絵をほどこす。

近江大掾藤原忠広より一言:平成の皆様お元気ですか? 
既に370年程経過しているのですね。 私は寛永9年父が亡くなり、忠広を襲名いたしました。 
未だ19歳の年齢であった為父の弟子であった結束の高かった者達は私を助けて
かなり多くの作品を共に制作してくれました。 弟子には、橋本一類に15名弟子60人がおり
寛永4年に佐賀城下に移動致しました。 鍋島家からは刀の体配に至る迄
厳しい注文が出て制作を致しました。  弟子には正広、広貞、吉房、忠国、広勝。
吉行、その他大勢がおりまして多量の刀剣を制作しておりました。 
寛永11年幕府から特定の業者からは肥前刀は売る事が出来ず、
鍋島藩で一手に販売し更に細かな注文が造られたために刀鍛冶は総て結束していたのです。  
したがって材料や制作方法は総て鍋島藩で決められた品物を使用し
美しい地金は祖先の来の系統を引いた延寿が肥前刀の祖となっているのです。  
輸出や制作の秘密はしっかりと守られ又弟子達は独立して出て行く事は許されなかった為に
肥前刀 独特の作風が出来たのです。葵美術の社長の話では現在でも
肥前刀の制作は出来ないそうですが当時も懸命に努力しなければ出来ませんでした。 
今日皆様にご紹介する近江大掾藤原忠広は珍品中の珍品なのです。 
ご存知の様に私が制作した脇 差は刀銘に切りますが刀は太刀銘に切る事になっております。
皆様も気付かれたと思いますがこの刀は1本刀銘に銘を切っております。 
絶対にあり得ない事を行った理由はなぜでしょうか。
これは秘密なのです。 しかしその為に一心不乱で弟子と共に制作したので
自分でいうのは気恥ずかしいのですが、最高傑作作品に成功したのです。
これから御持ちになる方はどうか大切に保存下さい。私が自信をもって制作した作品です。
  

葵美術評価鑑定書:特別保存刀剣鑑定書
全身押し形


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2022/05/27 (金) 11:02

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